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責めるのでなく、汲む。

人間、自分を害することがあると何かを責めることがある。

 

たとえそれが自分自身であっても。

僕は何かのせい、自分のせいにして物事を考えてしまうことが多い。

これは何とかのせいだ、これは自分のせいだ。

なんてね。

 

それは出来事を責任ありきで責めることを前提にしてしまってるからなんだ。

これからは、責めることを減らして汲むことを多くしていきたい。

 

それは何かというと、責めるという行動は事象にとって一方通行の思考だからだ。

 

例え話をしよう。

作業仕事をAさんが労災事故を起こしてしまった。

これを責任で問うと、Aさんと管理する人達に責任を問われる。

 

これは責任問題の話である。

物事は責任だけではなく、取り巻く要素や要因を考えてはいけないということ。

Aさんは未経験から始めて半年ほど経っているが不慣れの作業で作業環境は夏の暑い日。

 

この要因を踏まえるとどう整理するか?

Aさんの能力と作業に対する知識はもちろんのこと、作業環境は夏の酷暑であったということ。

それをヒューマンエラーで収めるのはナンセンスであるということだ。

 

たしかに責任は言及に値するのは当然だが

Aさんの人間を汲んでこまめに休憩を取らせているか?

Aさん能力を汲んで、現地で進捗をこまめに確認したか?

 

上に当たる人間は汲むことを覚えなくてはいけない。

もちろん当事者になるであろう下の人間も上を汲んで自分の可能性を自ら申す勇気も必要になってくるということ。

 

仕事をたとえにしたけれども、これはどこにも繋がっている。

自分が汲むことも大切だし、汲んでもらえることを期待せずに自ら伝えなくてはいけないと僕は最近思っている。

 

だから僕は汲む力を養うこと、一歩踏み込んで自分の気持ちをしっかり伝えるようになりたい。

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