「一汁一菜でいいかもしれない」
こういうのでいいんだよ、井之頭五郎が言う感じでいい。
そんなご飯で幸せになりたい。
スーパーやコンビニ、食料品店で雄々しく本能のままにカゴに食べ物を入れる。
後日、なんで買ったんだろうと自問自答することが多々。
その時食べたい感情はすぐに消えては新たな欲を産む。
これじゃあいかん。
とりあえず今は現存の食糧と暮らそう。
減ったらその時の欲と向き合えばいいだろう。
土井善晴先生の「一汁一菜でよい」という提案という書籍があるがそんな暮らしをしていければいいんだよな。
とにもかくにもフードロスせず楽しく食べていこうじゃないか。
食ある生活に感謝して。
「明日でいいや」
帰宅して夕飯、晩酌をして酔って全てを面倒にする。
洗い物も風呂もなんでも全てやらない。
明日でいいや、そんな気持ちがあるから明日やることを確約されているのかもしれない。
やることを後回しにしたいことはとても素晴らしいことなのだが、暇を持て余すということは不安を生むということになる。
やることがないと判断すると僕の頭は睡眠、食事、飲酒、喫煙、そして動画・音楽鑑賞やツイッターくらいしか思いつかない。
それが明日のノルマを自分に課す無意識なのかもしれない。
だからふと酔った僕は思ったんだ。
日常に継続はいらない。
出来たら明日もやろう、出来なかったら明日やろう。
それでオッケー、それでいいじゃないか。
そうして明日の自分と昨日の自分が喧嘩するんだけどな…
現場からは異常です。